屋形船の歴史

発祥

浪花橋夕涼

『浪花百景』

浪花橋 夕涼み

日本書紀には、履中天皇が磐余市の磯池で船を浮かべ酒宴を楽しんだとの記録があり、日本においては古来より船上で宴が催されていたようです。
屋形船の歴史は平安時代にまで遡り、日本最古の歌集「万葉集」で詠われています。
「奥つ国領(うしは)く君が塗屋形黄塗(にぬり)の屋形神が門(と)渡る」(16/3888)

船上での日差しや風雨をしのぐために作られた「苫(とま)」と呼ばれる粗末な屋根を持つ船から発展し、平安時代には唐風の屋形を取り付けた「唐屋形船」など、様々な船に屋形が取り付けられるようになりました。

江戸時代には、大名や豪商だけの遊びに留まらず、庶民が花見や夕涼みを舟で楽しむ様が、落語「百年目」「遊山船」や浮世絵「浪花百景」にも残されています。


川御座船

川御座船(復元模型)

川御座船(復元模型)

川御座船は、その名のとおり河川で使用する将軍や大名の御座船を指します。
江戸時代の大坂には、幕府の川御座船を初めとして、参勤交替時に大坂まで海路を取る中国・四国・九州方面の諸大名の川御座船も配置される様になりました。

幕府の川御座船は朝鮮使節や琉球施設の迎接用として利用された為、船体・屋形ともにとりわけ豪華に装飾されていました。


野崎参り

浪華勝概帖 野崎参り

『浪華勝概帖』 野崎参り

『野崎小唄』

野崎参りは 屋形船でまいろ
どこを向いても 菜の花ざかり
粋な日傘にゃ 蝶々もとまる
呼んで見ようか 土手の人

東海林太郎の歌で知られる「野崎小唄」に描写されているように、天和から元禄・宝永年間にかけて、天満橋の八軒家船着場から舟で上っていく「野崎参り」が盛んになり、陸路を歩く参拝者と罵り合って競り勝てば一年の幸を得られたと伝えられています。