屋形船の歴史

発祥


日本書紀には、 

履中天皇
(3世紀後半、 若しくは4世紀初頭)
が磐余市の磯池で
船を浮かべ酒宴を
楽しんだとの記録があり、 


日本においては古来より船上で 
宴が催されていたようです。

屋形船の歴史は
平安時代にまで遡り、


日本最古の歌集「万葉集」 
(7世紀後半~8世紀後半) には

「奥つ国領(うしは)く
君が塗屋形(ぬりやかた) 

黄塗(にぬり)の
屋形神が門(と)渡る」
(16/3888)<作者不明>

と詠まれています。


■大喜丸の御紹介 
■屋形船の楽しみ方

平安以降


船上での日差しや風雨を

凌ぐ為に作られた
「苫(とま)」と呼ばれる


粗末な屋根を持つ船から発展し
平安時代には唐風の屋形を

取り付けた「唐屋形船」など
様々な船に屋形が

取り付けられる様になりました。

江戸時代


■ 江戸時代には、

大名や豪商だけの遊びに留まらず
庶民が花見や夕涼みを舟で楽しむ様が
落語「百年目」「遊山船」
浮世絵「浪花百景」
にも残されています。

浪花百景之内 天満宮御旅所 (初代長谷川貞信)
正徳度朝鮮通信使上々官第三船図

川御座船


川御座船は、
その名のとおり河川で使用する
将軍や大名の御座船を指します。

幕府や諸大名が
大坂に置いた川御座船は
朝鮮使節や琉球使節の

迎接用としても利用された為
漆塗りの屋形に
金銅の金具や装飾が施され
船体・屋形ともにとりわけ


豪華な船であったといわれます。

野崎参り

『野崎小唄』


野崎参りは 屋形船でまいろ
どこを向いても 菜の花ざかり
粋な日傘にゃ 蝶々もとまる
呼んで見ようか 土手の人

東海林太郎の歌で知られる


「野崎小唄」に描写されているように
天和から元禄・宝永年間

(1681年~1704年)にかけて
天満橋の八軒家船着場から

鯰江川や寝屋川をさかのぼり
野崎観音
(大東市 曹洞宗福聚山慈眼寺)まで
舟で上っていく
「野崎参り」が盛んになり
陸路を歩く参拝者と
罵り合って競り勝てば
一年の幸を得られた
と伝えられています。

近松門左衛門の

「女殺し油の地獄」の一節には
「鯰川よりゆらゆらと
野崎参り屋形船」

との記述もあります。

『浪華勝概帖』 野崎参り